ミッション・ステートメントをつくった
今日の一枚『兎と空中庭園』
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思えばここ数年間、私の人生観はブレブレでした。
絵を描くことが好きで、絵の専門学校に入学して。
でも勉強を続けている内にホントに絵を仕事にしたいのかは分からなくなってきて。
すると「何のために描いてるのか」も分からなくなって、まるで惰性のような感覚で描いて。
そんなだから全然うまくならなくて、描くことが嫌になってきて。
周りの人も全然応援してくれなくて、プレッシャーに耐えれなくて。
絵を描くのを止めていた時期もありました。自分には才能が無い、センスが無い、だから諦めた方が幸せになれるって。でも諦めたくなくて。
まるで自分が暗闇の中に居て、何もわからずうろうろしている感覚でした。
努力して前に進んでも、その方向に何があるのか分からない。
後ろ向き進んでも、何も変わらない。
そんな暗闇の中で私は一つの事に気付きます。
私には自分自身と深く向き合う為の時間が必要なんだ。
「何のために描くのか?」
「好きで描いてるのか?」
「将来どうなりたいのか?」
「本当の自分はどこにあるんだろう?」
私は暗闇の中、私が進むべき方向を探すことにしました。
まずはTwitterを辞めた
Twitterにはたくさんの情報が流れてきます。
たくさんの新しい作品。
たくさんの新しい考え方。
「〇時間で描きました!」
「絵を描き始めて〇年です!」
「一日〇時間は描いてます!」
「~をしないと絵は上手くならない」
「~時間もかけていたら仕事にならない」
「~が便利だ、活用しよう」
私はたくさんの情報があるほど良いと思っていました。
自分には情報を取捨選択する力があると思ってたし、たくさんの考え方を取り入れた方が感性も豊かになるだろう…って。
でも全然そんなことはなかった。
私は周りからの影響を受けすぎるのです。
例えばTVのニュースで暗い事件がやっていれば悲しくなるし、明るい内容だったら楽しくなる。
悲しむ人を見ると悲しくなるし、喜ぶ人を見れば嬉しくなる。
尊敬する人が「~すべき」と言えばそれが正しい事に感じるし、皆がリツイートした情報は有意義なもののように感じる。
このままTwitterを続けていたら「本当の自分」は見えないだろうと思いました。
暗闇をつくっているのは多すぎる情報なのかもしれないって。
だからTwitterは辞めました。
たくさん本を読んだ
本を読む大切さは良く分かっていたつもりでした。
ですがその真の重要性に気付けたのはTwitterを辞めてからだと思います。
本には著者の数十年間の経験と考えが詰まっています。
それはTwitterで気楽に発信出来るレベルの情報とは比較にならないほど有意義なものなのです。そこでもっとたくさんの本を読んでそこから「本当の自分」を見つける為のアイディアを得る事にしました。
ある一冊の本を読んで、感動して、そこから劇的に考え方が変わった…なんてことはありませんでした。ですが徐々に考え方が変わっていくのを実感していました。
もし本を読んでいなかったら間違いなく今も停滞したままになっていたでしょう。
本は暗闇の中で右往左往する私に成長する方向を与えてくれました。
ある事がきっかけで暗闇が晴れた
Twitterを辞めて、本をたくさん読んで。
今まで暗闇に浸りすぎて内面まで真っ黒になっていた私が段々と浄化されていく感覚はありました。
例えば絵描きの友達が賞を受賞した!…って聞くと、おめでとうとは思いつつも内心では「きっと運が良かったのだろう、別に私の努力が足りないわけじゃない」とか考えていました。酷い奴だね。
今なら心の底からの祝福が言えます。
絵だって再び描き始めました。
昔は絵に触れるのも嫌になっていましたが、また描いてて楽しいと思えるようになったのです。
「本当の自分」を取り戻しつつあると感じていました。
でもやっぱり「何のために描くのか」が分からないのです。
描けば楽しいけど、「楽しいから描く」が理由では無い気がします。
何かもっと偉大な目的の元、描くことを選択しているような気がする…。
しかしある時。
でも、そんなもやもやが全て吹き飛びました。
それはココナラというスキルを売り買いするサイトでの事です。
私に仕事の案件が来ました。
「自費出版で本を出したいので、イラストを描いてほしいです」
素敵な話だと思いました。
ですが私が衝撃を受けたのはその後です。
(実際はもっと長い会話でしたが端折ってます)
「本の売り上げは教育を受けたくても受けられない子達へ寄付するつもりです」
雷に打たれたような感覚でした。
まさしくパズルの最後の1ピースが嵌った感じです。
今まで自分の事ばかり考えてたんですよ。
「(自分が)何のために描くのか?」
「(自分が)好きで描いてるのか?」
「(自分が)将来どうなりたいのか?」
あくまで自分目線でずっと考えていて、自分の事に必死になりすぎていて、ほかの人たちに目を向けようなんて発想はありませんでした。だからこそほかの人たちの幸せを願うその言葉にとても強い感銘を受けたのです。自分だけを探し続けていても暗闇が晴れる事は無かったのです。
「誰のために描くのか?」
「好きでいてくれる人のために描くのか?」
「どんな仕事を求められてるのか?」
そんな声がきっと心の奥底からずっと囁かれていたのですよ。だからこそ自分目線で考えているだけでは納得できなかったのです。
自らの絵の力を行使して他者貢献をしたい。
絵を愛する人たちに貢献したい。
これが答えでした。
ずっと探し求めていた答えでした。
ビクター・フランクルという心理学者さんがこんな事を言っていたのを思い出しました。
人生におけるミッションというものは、つくるものではなく発見するものである
そうして数年間探し続けていた「何のために描くのか?」という疑問にようやく答えが出ました。暗闇に光を与えてくれたのは私の絵で喜んでくれる人たちでした。
これをミッション・ステートメントとして胸に刻む
ミッション・ステートメントとは自分の人生の指針の事です。
日々の人生の中で人にはたくさんの迷いが生まれると思います。
それは小さい事から大きい事までたくさんあるでしょう。
「欲しいゲームがある、買うべきか?」
「喧嘩をしてしまった、謝るべきか?」
「忙しいのに大きな仕事を頼まれている、断るべきか?」
そんな迷いが生まれたとき、頼りになるのがミッション・ステートメントです。
迷いとミッション・ステートメントを照らし合わせて考え、行動を決定します。
例えば『道徳に従って、誠実に生きる』というミッション・ステートメントをつくったのなら、喧嘩をしてしまった時には誠実に謝るべきでしょう。
ミッション・ステートメントはあなたの憲法であり、しっかりとしたビジョンと価値観の表現である。自分の人生すべてを計る基準になるのである
スティーブン・R・コヴィー『七つの習慣(川西茂 訳 キングベアー出版)』より
この羅針盤(コンパス)を指針に行動する限り私はもう暗闇の中でさまよう事はありません。という事で以下が私のミッション・ステートメントです。
人間の四つの側面(肉体、知性、情緒、精神)と、
それに対応した四つのインテリジェンス(肉体的・経済的、社会・情緒的、知性、精神的)を高める事で
『絵を愛する人たちに貢献する』という大切なボイスを決して忘れないようにする。その為に健康的な体をつくり、勉学に励みたくさんの知識を身につける。
画力の向上、画法の研究に情熱の炎を燃やして、原則に従い良心の声を聴くことでその炎を滾らせ続ける。そして自らの学びの全てをほかの人たちにも教える事で他者貢献する。
この誓いを決して忘れないよう胸に刻み込み、日々の指針とする。
おわりに
思い返しても暗闇の中でさまよい続けていた数年間はまったくもって無駄な時間だったと感じます。前に進もうとしてぐるぐる同じところ回ってる感じ。
でも今の私には進むべき方向があります。
もう私は迷いません。
『絵を愛する人たちに貢献する』というボイスに従って、情熱を燃やしていこうかと思います。